オーナー社長が亡くなった直後、会社の通帳と印鑑を預かった相続人が最初に戸惑うのが、お金と不動産の線引きです。「会社の口座の預金は、父の遺産として兄弟で分けるのか」「会社名義の事務所や自宅の土地は、遺産分割の対象に入るのか」「会社の口座から葬儀費用を出してよいのか」。相続人、後継予定者、残された役員、経理担当者のいずれの立場でも、確認すべき点は同じです。
結論から申し上げると、会社名義の預金や不動産は、原則として会社の財産であり、社長個人の遺産そのものではありません。全株式を持つ一人会社でも同じです。遺産として整理すべきなのは、社長が持っていた株式、社長と会社との間の貸し借り、社長個人の保証債務などです。
もっとも、名義と実際の権利関係が食い違うと主張される場面はあり、その場合は資料を照合しなければ結論が出ません。以下、原則、遺産目録への書き方、名義と実態の見分け方、処分権限の順に確認します。
この記事で分かること
- 会社名義の預金・不動産が社長個人の遺産に含まれるのか、という原則
- 遺産目録に何を書き、何を直接書かないのか
- 名義と実態が食い違うと言われたとき、どの資料をどの順で照合するのか
- 会社の口座からの出金や会社名義不動産の売却を、誰が決められるのか
- 出金、売却、名義変更、遺産分割協議書への署名の前に確認すべきこと
会社の資料と相続の資料が混ざったまま手続を進めていませんか
どの資産が誰のものかを整理しないまま出金や署名を進めると、後から取り戻しにくい問題が生じることがあります。取扱業務の内容をご確認のうえ、必要に応じてご相談ください。
結論|会社名義の預金・不動産は、原則として社長個人の遺産ではありません
会社は法人とされ(会社法第3条)、社長個人とは別の権利主体です。会社名義の預金債権も不動産も、法律上の権利者は会社であり社長個人ではありません。相続人が承継するのは被相続人の財産に属した一切の権利義務ですから(民法第896条)、会社の財産が社長の死亡によって相続人へ直接移転することはありません。
したがって、遺産目録に記載を検討すべきなのは、会社の預金残高や会社名義不動産そのものではなく、社長が保有していた株式、社長の会社に対する貸付金、社長が会社から借りていた債務、社長個人の保証債務といった項目です。
| 財産・負債の種類 | 原則的な帰属 | 社長個人の遺産目録への扱い | 管理・処分できる者 | 主な確認資料 |
|---|---|---|---|---|
| 会社名義の預金 | 会社 | 個人の遺産項目として記載しない | 会社(適法な代表者が会社として手続を行う) | 口座開設書類、届出代表者、残高証明 |
| 会社名義の不動産 | 会社 | 個人の遺産項目として記載しない | 会社(代表権と必要な機関決定を備えた取引) | 登記事項証明書、売買契約書、固定資産台帳 |
| 社長個人名義の預金・不動産 | 被相続人個人 | 遺産として記載する | 相続人(分割前は共同相続人の共有) | 通帳、残高証明、登記事項証明書、名寄帳 |
| 社長個人が保有する自社株 | 被相続人個人 | 株式として記載する | 相続人(分割前は権利行使者の指定・通知が必要) | 株主名簿、定款、法人税申告書別表二 |
| 社長個人の会社に対する貸付金 | 被相続人個人の債権 | 債権として記載を検討する | 相続人 | 決算書の役員借入金、勘定科目内訳明細書、契約書 |
| 会社の社長個人に対する貸付金 | 会社の債権 | 被相続人の債務として確認する | 会社 | 決算書の役員貸付金、勘定科目内訳明細書、返済履歴 |
| 社長個人による会社債務の保証 | 被相続人個人の債務 | 保証債務として確認する | ――(債権者との関係で処理する) | 保証契約書、金銭消費貸借契約書 |
| 社長個人所有で会社へ賃貸等していた不動産 | 被相続人個人 | 遺産として記載し、利用関係も併記する | 相続人(会社との契約関係は別に整理) | 登記事項証明書、賃貸借契約書、賃料の入金履歴 |
| 個人事業の事業用財産 | 事業主個人 | 遺産として記載する | 相続人(許認可の承継は別に確認) | 商業登記の有無、法人番号、口座名義、契約当事者 |
| 名義と実質的帰属に争いがある資産 | 資料により判断が分かれる | 争いのある財産として主張と根拠資料を分けて整理 | 争いが解決するまで処分しない | 資金の出所、契約当事者、帳簿処理、使用実態の照合表 |
これは原則の整理です。実際には、決算書の役員借入金の実在性が争われたり、会社名義不動産について社長個人が資金を出したと主張されたりします。個別事情により結論は異なりますので、資料を確認したうえで判断する必要があります。
注意 相続人が会社の実印、通帳、カード、インターネットバンキングの認証情報を持っていることと、法律上その資金を動かす権限があることは別です。権限を確認しないまま出金や処分を行うと、会社に対する責任を問われたり、相続人間の紛争を深刻化させたりするおそれがあります。
会社、社長、株主、個人事業――四つを分けて考える
会社は社長とは別の権利主体です
会社法第3条は「会社は、法人とする。」と定めています。法人であるとは、会社が自分の名前で財産を持ち、契約を結び、債務を負うということです。社長が亡くなっても、会社という権利主体は存続します。
「社長」という呼び名と、代表取締役・株主という法的地位は違います
日常語の「社長」は経営上の呼称です。整理すべきは、会社を代表する代表取締役、議決権を持つ株主、業務執行を担う取締役という三つの地位で、このうち相続の対象になるのは株式だけです。株式会社と役員との関係は委任に関する規定に従うとされ(会社法第330条)、委任は当事者の死亡によって終了します(民法第653条第1号)。取締役や代表取締役の地位は相続されず、相続人が当然に次の社長になるわけではありません。
一人会社・資産管理会社でも、会社の財産は会社のものです
全株式を持つことは、会社の財産を直接所有していることではなく、会社に対する持分としての株式を保有していることを意味します。ここを飛ばして「実質的に社長の会社なのだから預金も遺産だ」と整理すると、後述する二重計上や無権限処分の問題につながります。
法人か個人事業かで、結論が大きく変わります
商号に「商店」「事務所」などの名称が付いていても、法人登記がなければ個人事業です。個人事業には事業主と別の法人格がありませんから、事業用の預金口座や不動産であっても、法的な帰属が事業主個人であれば相続財産になり得ます。次の四点を確認してください。
- 商業・法人登記事項証明書を取得できるか(法人であれば取得できます)
- 法人番号が指定されているか
- 預金口座の名義が法人名義か、屋号付きの個人名義か
- 不動産の登記名義人、契約書の当事者が法人か個人か
合同会社などの持分会社は、定款を確認します
この記事は中小の株式会社と特例有限会社を中心に説明しています。合同会社、合名会社、合資会社では仕組みが異なり、社員の死亡は原則として退社の事由とされます(会社法第607条第1項第3号)。定款に承継の定めがあれば相続人等が社員となり(同法第608条第1項、第2項)、なければ持分の払戻しの問題になります(同法第611条第1項)。社員が欠けたことは解散事由とされます(同法第641条第4号)。持分が株式と同様にそのまま相続されると考えず、定款と登記事項証明書を確認してください。
遺産目録に載せるもの・載せないもの
「遺産目録」は用途によって書き方が変わります
遺産目録という言葉は、相続人間の整理表、遺産分割協議書の別紙、家庭裁判所の手続で用いる目録、相続税申告の資料など複数の場面で使われ、書式も評価の時点も記載方法も異なります。裁判所が公開する遺産分割調停の申立書式にも、土地・建物・現金預貯金株式等の三種類の遺産目録が用意されています。どの用途の目録かを確定してから作成してください。
会社名義の預金・不動産は、個人の遺産項目として直接は記載しません
原則として、会社名義の預金残高や不動産を被相続人個人の遺産項目として直接記載することはしません。代わりに次の項目を検討します。
- 被相続人が保有していた株式(株式数、株主名簿の記載、定款の譲渡制限の有無)
- 被相続人の会社に対する貸付金(存在と金額を裏付ける資料があるか)
- 被相続人が会社から借りていた債務(会社側の債権であり、相続側では債務です)
- 被相続人の個人保証に基づく保証債務(主債務の残高と保証の範囲)
- 未払の役員報酬、死亡退職金、生命保険金
末尾の三つは、一律に遺産と決めつけないでください。死亡退職金は機関決定や退職慰労金規程の内容によって、生命保険金は契約者・被保険者・受取人の組合せによって扱いが変わります。
役員借入金と役員貸付金は、方向を取り違えないでください
決算書の勘定科目は、会社から見た呼び方です。「役員借入金」は会社が役員等から借りている債務ですから、被相続人側には会社に対する貸付金という債権が存在する可能性があります。反対に「役員貸付金」は会社の債権ですから、被相続人側では債務になり得ます。方向を取り違えると、遺産の中身が正反対になります。
ただし、計上があるというだけで債権の実在性、残高、返済条件が確定するわけではなく、長期間動きのない残高や記帳の誤りが含まれることもあります。総勘定元帳、勘定科目内訳明細書、金銭消費貸借契約書、送金・返済の履歴、利息の処理を照合してください。
会社の財産と株式の価値を、二重に計上しない
会社名義の預金と不動産を個人の遺産として計上し、そのうえで株式の価値も計上する処理は、同じ価値を二回数えることになります。会社の資産は非上場株式の価値を通じて間接的に反映されるのであって、会社の資産そのものが被相続人の遺産になるわけではありません。
あわせて、会計上の帳簿価額、相続税評価額、遺産分割で用いる時価という三つの数値を混同しないでください。取引相場のない株式の相続税評価について、国税庁は原則的評価方式(類似業種比準方式・純資産価額方式)と特例的な評価方式(配当還元方式)の区分を示しています。株価の算定方法は本記事の範囲を超えるため、自社株の相続・事業承継と評価の要点を確認するをご覧ください。
帰属に争いがある財産は、黙って外さず、断定もしない
他の相続人から「実質的に父個人の財産だ」と主張されることがあります。主張を無視して外すのも、主張どおり断定的に計上するのも適切ではありません。「帰属に争いがある財産」として項目を立て、誰がどのような主張をしているか、その根拠資料は何かを分けて整理してください。
家庭裁判所の手続の範囲 遺産分割の手続は、相続人の間で遺産の分け方について話合いがつかない場合に利用する手続です。当事者に代わって未知の財産を全面的に探し出す手続ではなく、遺産の範囲や所有権の帰属自体に争いがある場合は、証拠の提出や別の手続が必要になることがあります。会社名義の資産をめぐる争いでは、会社が独立した権利主体である点も踏まえ、誰を相手方にどの請求を選ぶかを個別に検討する必要があります。
会社財産と個人財産の見分け方――七つの確認手順
名義と実態が食い違うと主張された場合、一つの事情だけでは結論が出ません。次の順序で資料を照合します。
| 手順 | 確認すること | 主な資料 |
|---|---|---|
| 1 法人か個人事業か | 別個の法人格があるかどうかを最初に確定する | 商業・法人登記事項証明書、法人番号、定款 |
| 2 名義・登記・契約当事者 | 登記名義人、口座名義、契約書の当事者が誰か | 不動産登記事項証明書、口座開設書類、届出代表者、売買契約書 |
| 3 取得資金と送金経路 | 購入代金、頭金、借入金の出所と、実際に返済している者 | 決済資料、領収書、振込記録、融資契約書、返済口座の履歴 |
| 4 帳簿・税務申告との整合 | 資産が会社の帳簿に載っているか、減価償却されているか | 決算書、勘定科目内訳明細書、総勘定元帳、固定資産台帳、申告書 |
| 5 維持費・収益・利用の実態 | 固定資産税や修繕費を誰が負担し、賃料を誰が受け取っているか | 納税通知書、保険証券、請求書、賃貸借契約書、賃料の入金履歴 |
| 6 貸借・出資・贈与・名義借りの資料 | 会社と社長との資金移動に、どの法的原因が付されていたか | 株主総会・取締役会議事録、稟議書、金銭消費貸借契約書 |
| 7 矛盾があるときの対応 | 食い違いがあれば、処分せずに帰属と権限を個別に確認する | 時系列に整理した照合表、担保権の設定状況、裏付け資料 |
社長個人の資金が使われていたら、その不動産は社長のものですか
社長個人の資金が会社の口座に入っていたり、会社名義不動産の取得に充てられていたりしても、その預金や不動産が直ちに社長個人の所有になるとは限りません。資金が動いた理由には会社への貸付け、出資、贈与、立替えなど複数の可能性があり、どの法的原因かを契約書、議事録、帳簿処理、税務処理から確認します。逆に会社の資金で社長個人名義の財産を取得していた場合も、直ちに会社の所有とは断定できず、報酬や配当、貸付け、仮払金、名義借りなどの可能性を確認します。
預金の帰属は、資金を出した人だけでは決まりません
最高裁判所は、損害保険会社の保険料を保管する専用口座について、銀行と預金契約を結んだ代理店に預金債権が帰属し、資金の出し手である保険会社には帰属しないと判断しています(最高裁平成一五年二月二一日判決・民集五七巻二号九五頁)。資金の原資が誰かという点だけで預金者は決まりません。
実務では、口座を開設した者、預金契約の当事者、代理関係、表示名義、開設の目的、通帳・届出印・認証情報の管理者、資金の原資、入出金の実態などを総合して検討します。会社名義の普通預金に「お金を出したのは社長だから社長の預金だ」という単純な当てはめはできません。
不動産の登記名義は強い出発点ですが、絶対ではありません
物権の設定・移転は当事者の意思表示だけで効力を生じ(民法第176条)、不動産に関する物権の変動は登記をしなければ第三者に対抗できません(同法第177条)。最高裁判所は、登記簿上の所有名義人は反証のない限りその不動産を所有するものと推定すべきであるとしています(最高裁昭和三四年一月八日判決)。登記名義は極めて重要な判断資料ですが、反証を許さない絶対的なものではなく、他方で不動産登記に一般的な公信力があるわけでもありません。名義が実体と異なると主張される場面では、相手方と通じてした虚偽の意思表示は無効とされ、その無効は善意の第三者に対抗できないという規定(同法第94条)が問題になることもあります。
会社名義の自宅に社長一家が住んでいた、会社の口座から生活費が支払われていたといった事情はよく見られますが、これらは私的利用や会計・税務処理の適否の問題であり、民事上の所有権の帰属とは区別して整理する必要があります。
法人格否認の法理は、遺産を確定するための便利な手段ではありません
最高裁判所は、法人格が全くの形骸にすぎない場合、または法律の適用を回避するために濫用される場合には、法人格を否認すべきことが要請される場合が生じるとしています(最高裁昭和四四年二月二七日判決・民集二三巻二号五一一頁)。もっとも、これは例外的な法理であり、その適用は慎重にされるべきものとされています。一人会社である、同族会社である、帳簿が不十分である、社長が会社の資産を私的に使っていたといった事情だけで、会社の財産が当然に社長の相続財産へ読み替えられるわけではありません。
会社名義の預金と、相続税でいう「名義預金」は別の話です
二つの言葉は、指しているものが違います
相続税は、亡くなった人の財産を相続や遺贈によって取得した場合にその取得した財産にかかるものであり、口座の名義だけで課税対象かどうかが決まるわけではありません。配偶者名義や子名義の口座でも、実質的に被相続人に帰属すると判断されれば課税対象になり得ます。これが「名義預金」と呼ばれるものです。
これに対して「会社名義の預金」は、法人という別の権利主体が預金契約の当事者になっている口座です。家族という自然人の名義を借りた口座とは法律上の構造が異なり、会社名義だから名義預金として遺産に取り込める、という発想は成り立ちません。
混同しやすい点 相続税の課税対象かどうかという税務上の判断と、民事上その財産が誰のものかという判断は別の問題です。税務調査で会社との資金のやり取りが問題になっても、それで民事上の所有権が確定するわけではありません。逆に民事上の帰属が整理できても、相続税や法人税の処理は別途検討が必要です。
遺産分割前の預貯金の払戻し制度は、法人口座には使えません
民法第909条の2は、各共同相続人が、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始時の債権額の三分の一に相続分を乗じた額について単独で権利を行使できるとする制度です(金融機関ごとに法務省令で定める額が限度)。会社名義の口座の預金債権は会社の財産であり「遺産に属する預貯金債権」ではありませんから、この制度で相続人が会社の口座から払戻しを受けることはできません。
代表者が亡くなったとき、法人口座はどうなりますか
「代表者が死亡すれば法人口座は法律上必ず凍結される」とも、「法人名義だから絶対に取引が止まらない」とも言い切れません。実務上は、金融機関が事実関係を確認する間、取引を一時的に制限したり、新代表者の登記事項証明書、本人確認書類、印鑑届などの提出を求めたりすることがあります。給与、仕入代金、社会保険料、税金の支払が止まれば事業が立ち行かなくなりますので、取引金融機関が公表する法人の代表者変更手続を早めに確認してください。
社長の死亡後、会社の資産を管理・処分できるのは誰か
相続人・株主・取締役・代表取締役の権限は、それぞれ違います
相続人であることは、会社との関係では権限を意味しません。株式を相続して株主になっても、議決権などの権利を持つにとどまり、会社の財産を直接処分できるわけではありません。会社の業務執行を決めるのは取締役であり(取締役会非設置会社につき会社法第348条第1項)、会社を代表して取引を行うのは代表取締役です(同法第349条第4項)。
代表取締役が一人しかおらず、その人が亡くなった場合でも、残る取締役の代表権が自動的に復活するわけではありません。他に代表取締役がいるか、取締役会設置会社か、定款で取締役の員数をどう定めているか、代表取締役をどの方法で定めていたかによって、次にすべきことが変わります。
なお、任期満了または辞任により退任した役員が後任の就任まで役員としての権利義務を有するという規定(会社法第346条第1項、第351条第1項)は、死亡による退任には適用がありません。役員が欠けた場合、裁判所が一時役員の職務を行うべき者を選任できる制度はありますが(同法第346条第2項、第351条第2項)、大阪地方裁判所の案内では、権利義務役員がいる場合や後任選任のための株主総会を開催できる場合には原則として必要性が欠けるとされています。後任の選任と登記の進め方は、代表取締役死亡後の後任選任・役員変更登記の進め方を確認するで扱っています(役員に変更が生じたときは二週間以内に本店の所在地で変更の登記をしなければならないとされています。会社法第915条第1項)。
会社の口座からの出金、会社名義不動産の売却
会社の口座から資金を動かすのは会社としての行為であり、適法な代表権を有する者、または正規に権限を与えられた者が手続を行う必要があります。葬儀費用や当面の生活費を会社の口座から支出したいという相談は多くありますが、支出の名目や機関決定の有無によって、後日、会社に対する責任や相続人間の紛争につながることがあります。
会社名義の不動産も、社長が亡くなっても所有者は変わりません。社長個人の相続登記をする関係にはならず、売却も担保設定も相続人への移転も、会社が当事者となる取引として行います。権利に関する登記の申請は、法令に別段の定めがある場合を除き、登記権利者と登記義務者が共同してしなければならないとされており(不動産登記法第60条)、遺産分割協議書だけで会社から相続人へ所有権が移転したり登記できたりすることはありません。
また、代表権があることと、会社の内部で必要な決議があることは別問題です。取締役会設置会社では、重要な財産の処分及び譲受けは取締役に委任できず、取締役会で決定しなければなりません(会社法第362条第4項第1号)。重要な財産に当たるかは、財産の価額、総資産に占める割合、保有の目的、処分行為の態様、従来の取扱いなどを総合的に考慮して判断すべきものとされています(最高裁平成六年一月二〇日判決・民集四八巻一号一頁)。
会社から相続人へ移す場合は、利益相反と価格に注意します
取締役が自己または第三者のために会社と取引をしようとするときは、重要な事実を開示して承認を受けなければなりません(会社法第356条第1項第2号)。取締役会設置会社では承認は取締役会が行い、取引をした取締役は取引後遅滞なく重要な事実を報告します(同法第365条)。特別の利害関係を有する取締役は議決に加わることができません(同法第369条第2項)。事業の全部または重要な一部の譲渡に当たる場合は、株主総会の決議による承認が必要です(同法第467条第1項)。
価格の設定にも注意が必要です。時価と異なる価格で資産を移した場合、会社法上の問題に加えて法人税、所得税、登録免許税、不動産取得税などに影響が及び、相手方が役員か株主か第三者かによっても扱いが変わります。なお、法人から贈与により財産を取得したときは、贈与税ではなく所得税がかかるとされています。個別の税額は事実関係により異なるため、税理士等による事前確認が必要です。
会社をたたんでも、会社の財産が直ちに個人のものになるわけではありません
会社を休眠させたり解散して廃業したりしても、会社の財産が直ちに株主や相続人の共有財産になるわけではありません。清算人の職務は、現務の結了、債権の取立て及び債務の弁済、残余財産の分配とされ(会社法第481条)、清算株式会社は債務を弁済した後でなければ財産を株主に分配できません(同法第502条)。残余財産の分配は清算人の決定により種類と割当てを定めて行い(同法第504条第1項)、金銭以外の財産である場合の規定も置かれています(同法第505条)。必ず全資産を換価するわけではなく、持分会社の清算は別の規定を確認します。
よく問題になる六つの場面
| 場面 | 原則的な整理 | 確認する資料 | してはいけない行為 | 相談を検討する時点 |
|---|---|---|---|---|
| 社長が全株式を持つ一人会社だった | 会社財産は会社のもの。遺産は株式と貸借関係 | 定款、株主名簿、法人税申告書別表二 | 会社の預金を個人の遺産として分配する | 遺産目録の作成前 |
| 土地は社長個人名義、建物は会社名義 | 土地は遺産、建物は会社財産。利用関係を別に整理 | 両方の登記事項証明書、賃貸借契約書、地代の入金履歴 | 土地と建物を一体の遺産として協議に載せる | 遺産分割協議の準備段階 |
| 社長個人の資金で会社名義不動産を購入したと主張されている | 資金の出所だけでは所有権は決まらない | 決済資料、送金記録、融資契約書、議事録 | 主張だけを根拠に計上する、または黙って外す | 主張が出た時点 |
| 会社の口座やカードから生活費が支払われていた | 私的利用の問題と所有権の帰属は別 | 総勘定元帳、勘定科目内訳明細書、カード明細 | 「実質的に個人の口座だった」と決めつける | 決算書を確認した時点 |
| 相続人の一人が会社印・通帳・権利証を管理している | 所持していることと処分権限があることは別 | 登記事項証明書上の代表者、金融機関の届出内容、定款 | 無断で出金・売却・相殺・債権放棄・名義変更をする | 会社の支払や契約が止まる前 |
| 決算書に多額の役員借入金があるが契約書がない | 科目名だけでは債権者・残高・返済条件は確定しない | 総勘定元帳、勘定科目内訳明細書、送金・返済の履歴 | 残高をそのまま確定させる、または無条件に免除する | 申告と分割の方針を決める前 |
遺産の範囲に争いがあるときの進め方
まず、誰と誰の、どの争いなのかを分けます
会社名義の資産をめぐる争いは、相続人同士の争いと、相続人と会社との争いが混ざりがちです。会社は独立した権利主体ですから、会社名義の不動産について所有権の帰属を確定させたいのであれば、会社を相手方とする手続が必要です。相続人間の遺産分割の手続だけで、会社との所有権の争いが常に解決するわけではありません。誰を当事者とし、所有権の確認・登記手続・遺産の範囲の確定のどれを先行させるかという選択は、事案により異なります。
資料の取得には、制度ごとの要件があります
「相続人だから会社の帳簿や口座の資料を自由に取得できる」ということはありません。会計帳簿等の閲覧・謄写を請求できるのは、総株主の議決権の一〇〇分の三以上の議決権を有する株主等で、請求の理由を明らかにする必要があります(会社法第433条第1項)。会社は、権利の確保・行使に関する調査以外の目的による請求など法定の事由に当たると認められる場合には請求を拒めます(同条第2項)。これに対し、計算書類等の閲覧等は株主および債権者が請求できます(同法第442条第3項)。制度ごとに権利者も対象資料も要件も異なります。
急いで手を打つ必要がある場合
資産が処分されそうな場合や証拠が失われそうな場合には、保全の手続を検討することがあります。ただし民事保全では、保全すべき権利または権利関係と保全の必要性を明らかにし、これを疎明しなければならないとされています(民事保全法第13条)。仮差押え、係争物に関する仮処分、仮の地位を定める仮処分は目的も要件も異なります。単に相続人・株主であるというだけで会社の不動産について処分禁止の仮処分が得られるわけではなく、まず「誰が誰に対してどの権利を持っているのか」を特定することが出発点です。取締役の違法な行為については株主による差止請求の制度もありますが(会社法第360条)、要件が定められています。
初動で避けるべきこと
- 権限を確認しないまま、会社の口座から出金する
- 会社名義の資産を売却する、担保に入れる、名義を変更する
- 会社と社長個人との間の債権債務を、独断で相殺したり免除したりする
- 会社の帳簿、契約書、通帳、領収書を廃棄する、会計データを上書きする
- 他人のアカウントに無断でログインする、パスワードを突破して資料を取得する
原本は現状のまま保全し、読み取り可能な写しを作成してください。取引履歴、会計データ、メールなどの記録は、権限の範囲内で適法な方法により確保します。無断のアクセスや持ち出しは、それ自体が新たな紛争の原因になります。
出金、売却、署名の前に、資料の整理だけでも進めておく
会社名義の資産が関係する相続では、法律上の帰属、会社内部の手続、相続の手続、税務の確認が同時に問題になります。相談により、必要な資料と手続の順序を整理できます。費用の考え方は、あらかじめご確認ください。
手続前チェックリスト
遺産目録を作成する前に
- どの用途の目録か(相続人間の整理、協議書の別紙、家庭裁判所の手続、相続税申告)を確定したか
- 会社名義の資産を、個人の遺産項目として直接記載していないか
- 株式、会社への貸付金、会社からの借入金、保証債務の項目を検討したか
- 会社の資産と株式の価値を二重に計上していないか
- 帰属に争いのある財産を、主張と根拠資料を分けて整理したか
会社の口座から出金する前に
- 現在、会社を代表する権限を有する者が誰かを登記事項証明書で確認したか
- 金融機関に届け出ている代表者・印鑑の内容を確認したか
- 支出の名目と会社との関係を説明できるか、その根拠資料があるか
- 取引金融機関の代表者変更手続と必要書類を確認したか
会社名義の不動産を売却・名義変更する前に
- 登記事項証明書で所有者と担保権の設定状況を確認したか
- 会社の内部で必要な決議(取締役会または株主総会)の要否を確認したか
- 取締役等との利益相反取引に当たらないか、特別利害関係の有無を確認したか
- 価格の根拠を説明できるか、税務上の影響を税理士等に確認したか
遺産分割協議書に署名する前・相続放棄を判断する前に
- 会社名義の資産が個人の遺産として記載されていないか
- 会社への貸付金、会社からの借入金、保証債務の有無と金額を確認したか
- 相続放棄を検討している場合、被相続人の財産に手を付けていないか
- 相続税の申告期限、相続登記の申請期限など、並行する期限を把握しているか
- 会社の帳簿、契約書、通帳を廃棄したり、会計データを上書きしたりしていないか
協議書の確認点は、遺産分割協議書へ署名する前の確認事項を見るもあわせてご覧ください。
弁護士に相談するタイミング
- 資料を見ても、財産の帰属や処分権限を判断できない
- 相続人と会社関係者との間で、主張が食い違っている
- 会社の支払や契約が止まりかけている、または既に止まっている
- 会社印、通帳、権利証を一部の者が独占して、他の関係者が確認できない
- 遺産分割調停や訴訟、あるいは緊急の保全手続を検討している
- 相続税の申告期限、相続放棄の期間、登記の期限が並行して進んでいる
相談によって結果が保証されるわけではありません。もっとも、資料の分類、法律上どの財産が誰に帰属し得るか、会社内部でどの手続が必要か、相続手続の順序、他士業との連携方針を整理することはできます。個別事情により結論は異なりますので、手続を進める前に一度確認することをおすすめします。
よくある質問
会社名義の預金・不動産は、社長の遺産目録に載せますか。
原則として、被相続人個人の遺産項目としては記載しません。会社の財産だからです。代わりに、被相続人が保有していた株式、会社に対する貸付金、会社からの借入金、保証債務の有無を確認します。帰属に争いがある場合は、争いのある財産として主張と根拠資料を分けて整理します。
社長の配偶者や子は、会社の口座から預金を引き出せますか。
相続人であることや株主であることは、払戻しを受ける権限の根拠になりません。会社としての手続を、適法な代表権を有する者が行う必要があります。遺産分割前の預貯金の払戻し制度(民法第909条の2)は遺産に属する預貯金債権の制度であり、法人口座には使えません。
代表取締役が死亡すると、法人口座は凍結されますか。
法律上必ず凍結されるとも、絶対に取引が止まらないとも言えません。実務上は、金融機関が確認のため取引を一時的に制限したり、新代表者の登記事項証明書や印鑑届の提出を求めたりすることがあります。取引金融機関が公表する法人の代表者変更手続を確認してください。
会社名義の不動産を売却できるのは誰ですか。
所有者である会社です。会社を代表する権限を有する者が、会社として取引を行います。取締役会設置会社では、重要な財産の処分は取締役会で決定しなければなりません(会社法第362条第4項第1号)。相続人が遺産分割によって直接取得・売却できるものではありません。
会社名義の不動産にも相続登記が必要ですか。
会社名義の不動産は社長が亡くなっても所有者が変わらないため、社長個人の相続登記をする関係にはありません。会社から相続人等へ移転する場合は、会社が当事者となる取引として、登記権利者と登記義務者が共同して申請します(不動産登記法第60条)。遺産分割協議書だけで登記はできません。
社長個人のお金で購入した会社名義の不動産は、誰の財産ですか。
資金の出所だけで所有権が決まるわけではありません。会社への貸付け、出資、贈与、立替えなど、どの法的原因で資金が動いたのかを確認する必要があります。契約書、議事録、帳簿の計上、税務上の処理、送金経路を照合したうえで判断します。
決算書の役員借入金・役員貸付金は、遺産目録にどう反映しますか。
会社から見た役員借入金は会社の債務ですから、被相続人側には会社に対する貸付金という債権が存在する可能性があります。役員貸付金は会社の債権ですから、被相続人側では債務になり得ます。ただし計上があるだけでは残高や返済条件は確定しません。総勘定元帳、勘定科目内訳明細書、契約書、送金・返済の履歴を確認してください。
会社名義の預金と、相続税でいう名義預金は同じものですか。
異なります。相続税実務でいう名義預金は、家族名義など自然人の名義を借りた口座について実質的な帰属で課税対象かを判断する場面の話です。会社名義の口座は、法人という別の権利主体が預金契約の当事者になっている口座であり、法律上の構造が異なります。
まとめ
- 原則 会社名義の預金・不動産は会社の財産であり、社長個人の遺産そのものではありません。一人会社でも同じです。
- 遺産として確認するもの 被相続人の株式、会社に対する貸付金、会社からの借入金、個人保証に基づく保証債務です。
- 見分ける資料 登記、口座名義と契約当事者、資金の出所、帳簿・申告書、維持費と収益の負担、貸借・出資・贈与の資料です。
- 処分権限 会社の資産を動かせるのは会社です。相続人・株主であることや印鑑・通帳の所持は、権限の根拠になりません。
- 争いがある場合の初動 無断の出金・売却・相殺・廃棄を避け、原本を保全したうえで手続を検討します。
- 次に取るべき行動 登記事項証明書、定款、決算書、勘定科目内訳明細書、通帳を揃え、目録作成・出金・売却・署名の前に確認します。
会社の資産が関係する相続について、資料の整理から検討できます
財産の帰属、会社内部で必要な手続、相続手続の順序、税理士・司法書士との連携の要否を、資料を確認したうえで整理します。ご相談の方法や受付時間は、事務所案内をご確認ください。
監修者
弁護士法人ひょうご支所 神戸みらい法律会計事務所
代表弁護士・公認会計士 藤井 貴之
兵庫県弁護士会所属/日本公認会計士協会兵庫会所属
取扱分野:相続・遺産分割、遺言、会社法・企業法務、事業承継
参考資料
本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案についての法律相談に代わるものではありません。財産の帰属、処分権限、手続の選択は、資料の内容と個別事情により結論が異なります。記載内容は、2026年9月2日時点で確認した法令および公的資料に基づいています。

24時間365日受付