「在任中の取締役が、会社と同じ業種の会社を新しく立ち上げようとしている」「退任する役員に競業避止の誓約書へ署名してもらいたい」「独立を考えているが、在任中に準備を始めてよいのか」「退任した取締役が主要な顧客を持って行ってしまった」――。取締役の競業をめぐる問題は、会社側からも取締役側からも、判断に迷いやすい場面が数多くあります。
この問題が分かりにくいのは、在任中の規制と退任後の規制とで、法律上の根拠がまったく異なるからです。在任中は会社法が定める競業取引の規制(承認手続)が問題となり、退任後は原則として契約(誓約書・退任合意書など)の有効性が問題となります。この二つを混同すると、「承認さえ得れば何をしてもよい」「退任すれば一切自由になる」といった誤解につながりかねません。
この記事では、取締役の競業避止義務について、在任中の会社法上の競業取引規制と退任後の競業避止契約を分けて整理し、会社側・取締役側それぞれが確認すべき手続・資料、承認や署名の前に相談すべきタイミングまでを解説します。結論の方向性を先にお伝えすると、競業に当たるかどうか、責任を負うかどうか、契約が有効かどうかは、いずれも具体的な取引の内容や個別事情によって変わり、書面や事実関係を確認したうえでの判断が必要になります。
承認手続や競業避止条項の内容を確認したい段階の方へ。取締役の競業は、取引を始める前・書面に署名する前に整理しておくことで、法的な見通しを立てやすくなります。資料をお手元にご相談いただけます。
Contents
まず全体像:在任中と退任後で「競業避止義務」の意味は異なる
取締役の競業をめぐる問題は、次のように整理すると見通しがよくなります。在任中は、会社法が取締役に一定の競業取引を制限し、事前の承認を求めています。退任後は、会社法上の競業取引規制は当然には及ばず、誓約書や退任合意書などの契約があるかどうか、その内容が有効かどうかが中心的な問題になります。
さらに、契約がない場合でも、営業秘密の持ち出しや、顧客・従業員への働きかけは、不正競争防止法や不法行為などの別の枠組みで問題となり得ます。まずは全体像を表で確認してください。
| 区分 | 在任中 | 退任後 |
|---|---|---|
| 主な法的根拠 | 会社法第356条第1項第1号・第365条(競業取引の規制)、忠実義務(第355条) | 誓約書・退任合意書・役員契約などの契約(有効性は民法第90条等を通じて判断) |
| 規制の内容 | 会社の事業の部類に属する取引をするには、重要な事実を開示して承認を得る必要がある | 会社法上の競業取引規制は当然には及ばない。契約で定めた範囲・期間などの制限が問題となる |
| 承認・手続 | 取締役会または株主総会の承認、取締役会設置会社では取引後の報告が必要 | 契約締結時の合意内容・締結経緯・代償措置などを確認 |
| 違反時に問題となること | 会社に対する損害賠償責任(第423条)、差止めの検討など | 契約に基づく差止め・損害賠償の可否(契約が有効な範囲で) |
| 契約がなくても問題となる行為 | 営業秘密の不正な取得・使用・開示(不正競争防止法)、秘密保持義務違反、顧客・従業員への不当な働きかけ(不法行為等) | |
以下では、この区分にそって、基礎知識・在任中の承認手続・違反時の責任・退任後の契約・契約がない場合の問題の順に整理します。なお、個別の事案でどこまでが競業に当たるか、どの責任が生じるかは、取引の具体的な内容によって結論が変わります。
取締役の競業避止義務とは(基礎知識)
「取締役の競業避止義務」という言葉は、複数の場面で使われます。まず、言葉の意味と、混同されやすい制度との違いを確認します。
「競業取引」と「競業避止義務」という言葉の意味
会社法は、取締役が「自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引」をしようとするときは、その取引について重要な事実を開示し、承認を受けなければならないと定めています(会社法第356条第1項第1号)。この規制の対象となる取引が「競業取引」です。取締役は会社に対して忠実義務(第355条)を負っており、会社と利益が衝突しやすい競業取引について、手続的な歯止めを設けているものです。
「競業避止義務」という言葉は、この在任中の競業取引規制を指すこともあれば、退任後に契約で負う競業禁止の義務を指すこともあります。同じ言葉でも、在任中か退任後かで根拠がまったく異なる点に注意が必要です。
取締役と従業員では根拠が異なる
取締役の競業取引規制は会社法を根拠とするのに対し、従業員(労働者)の在職中の競業避止義務は労働契約に付随する義務として説明され、退職後の競業避止は主に契約と就業規則の問題として整理されます。承認手続の要否、負う責任、退職・退任後の契約の考え方が異なるため、従業員に関する裁判例の結論を取締役にそのまま当てはめることはできません。従業員の競業避止義務については、従業員の競業避止義務について確認するをご参照ください。
なお、取締役が使用人(従業員)としての地位を兼ねている場合には、取締役としての規制と、従業員としての義務の双方が問題となり得ます。どちらの枠組みで検討すべきかは、実際の職務内容や契約関係を確認したうえで判断する必要があります。
競業取引と利益相反取引は別の規制
会社法第356条第1項は、第1号で競業取引を、第2号・第3号で利益相反取引(会社と取締役自身が取引をする直接取引や、会社が取締役の債務を保証するような間接取引)を、それぞれ規制しています。承認が必要という点は共通しますが、違反した場合の責任の規定が異なります(後述)。「競業取引か、利益相反取引か」を取り違えると、責任の見立てを誤るおそれがあります。
事業譲渡・M&Aに伴う競業避止義務との違い
会社法には、事業を譲渡した会社(譲渡会社)が一定期間・一定地域で同一の事業を行うことを制限する規定もあり、これは取締役個人の競業取引規制とは当事者も根拠も異なります。株式譲渡などのM&Aで売主等が競業避止義務を負うかどうかは、契約でどう定めたかによります。取締役個人の競業と混同しないよう、事業譲渡・M&Aの場面については、事業譲渡・M&Aに伴う競業避止義務について確認するをご参照ください。
| 区分 | 取締役の競業取引 | 取締役の利益相反取引 | 事業譲渡に伴う競業避止 |
|---|---|---|---|
| 主な根拠 | 会社法第356条第1項第1号 | 会社法第356条第1項第2号・第3号 | 事業譲渡に関する会社法の規定・契約 |
| 当事者 | 取締役個人 | 取締役個人 | 事業を譲渡した会社など |
| 典型場面 | 会社と同じ分野の取引・競合事業 | 会社と取締役の間の取引・会社による取締役の債務保証 | 事業譲渡後の同一事業の制限 |
| 違反時の責任規定 | 損害額の推定(第423条第2項) | 任務懈怠の推定(第423条第3項) | 契約・法令に基づく差止め・損害賠償など |
在任中の競業取引と承認手続(会社法第356条・第365条)
在任中の取締役が競業取引をしようとするときは、取引に関する重要な事実を開示したうえで、あらかじめ承認を得るのが原則です。承認を得る機関や、取引後の手続は、会社の機関設計によって異なります。ここを誤ると、手続を踏んだつもりでも要件を満たさないことがあります。
承認機関は会社の機関設計で異なる
取締役会を設置している会社では、承認機関は取締役会です(会社法第365条第1項により、第356条の「株主総会」を「取締役会」と読み替えます)。取締役会を設置していない会社では、承認機関は株主総会です(第356条第1項)。
| 項目 | 取締役会設置会社 | 取締役会非設置会社 |
|---|---|---|
| 承認機関 | 取締役会(第365条第1項) | 株主総会(第356条第1項) |
| 承認の時期 | 原則として取引に先立つ事前承認 | 原則として取引に先立つ事前承認 |
| 開示すべき事項 | 取引に関する重要な事実(取引の相手方・目的物・数量・価格・期間など、承認の判断に必要な事実) | 同左 |
| 取引後の手続 | 取引をした取締役は、取引後遅滞なく、重要な事実を取締役会に報告する必要がある(第365条第2項) | 会社法上の事後報告義務の定めはない(定款・内規による対応を検討) |
| 議決への参加 | 特別の利害関係を有する取締役は議決に加われない(第369条第2項) | ― |
承認では「重要な事実の開示」が必要
承認は、単に「競業を認める」という形式だけでは足りず、承認の判断に必要な重要な事実の開示を前提とします。取引の相手方、対象となる商品・役務、規模、期間などを開示することが想定されます。開示が不十分なまま得た承認は、後に「有効な承認があった」と評価されないおそれがあり、責任の場面でも問題となり得ます。どの範囲まで開示すべきかは取引の内容によって変わるため、事前に整理しておくことが望まれます。
特別の利害関係のある取締役の取扱い(第369条第2項)
取締役会で承認の決議をする場合、その取引について特別の利害関係を有する取締役は、議決に加わることができません(会社法第369条第2項)。競業取引をしようとする取締役本人は、通常これに当たります。もっとも、「議決に加われない」ことと、会議に出席して事実を説明することとは別の問題です。実務上の出席・説明・退席の取扱いは、議事の適正さを確保する観点から、事前に検討しておくことが安全です。
取締役会設置会社では取引後の報告が必要(第365条第2項)
取締役会設置会社では、競業取引をした取締役は、取引後、遅滞なく、その取引についての重要な事実を取締役会に報告しなければなりません(会社法第365条第2項)。承認を得れば手続が完了するわけではなく、事後の報告まで含めて手続が予定されている点に注意が必要です。
議事録など実務上の確認ポイント
- 承認を求めた際に開示した重要な事実の内容を、取締役会議事録(または株主総会議事録)に残す。
- 特別の利害関係を有する取締役が議決に加わっていないことを議事録上明確にする。
- 取締役会設置会社では、取引後の報告を行い、その記録を残す。
- 包括的な承認や継続的取引の承認を検討する場合は、どこまでが承認の対象かを特定しておく。
これらの記録は、後日、承認の有無や範囲が争われた場合の重要な資料になります。作成の要否や記載内容は事案によって異なるため、具体的な取引に即して確認することをおすすめします。
取締役の競業や役員の兼任について、承認手続の要否を確認したい会社の方へ。取引を始める前に、承認機関・開示事項・議事録の残し方を整理しておくことで、後の紛争リスクを抑えやすくなります。継続的な体制づくりは法律顧問の活用もご検討いただけます。
競業取引の規制に違反した場合の責任(会社法第423条)
承認を得ずに競業取引が行われた場合などには、会社に対する損害賠償責任が問題となり得ます。もっとも、「取引そのものが無効になるのか」「取締役は必ず責任を負うのか」といった点は、正確に整理する必要があります。
競業取引そのものの効力
承認を得ずに行われた競業取引であっても、取引の相手方との関係で、その取引が当然に無効になるわけではありません。競業取引は、会社と取締役との内部的な関係の問題として、主に会社に対する責任の形で処理されます。会社が取引そのものを無効にできるわけではない点は、誤解の多いところです。
会社に対する損害賠償責任と損害額の推定(第423条第2項)
取締役が任務を怠って会社に損害を与えた場合、会社に対して損害賠償責任を負うことがあります(会社法第423条第1項)。競業取引の規制に違反して取引をしたときは、その取引によって取締役または第三者が得た利益の額が、会社の損害の額と推定されます(第423条第2項)。会社にとっては損害額の立証負担が軽くなる一方、取締役側は、実際の損害がこれと異なることなどを主張・立証して推定を覆す余地があります。
ここで推定されるのは損害の額であって、任務を怠ったこと(任務懈怠)そのものが推定されるわけではありません。取締役が得た売上や利益の全額が、当然に会社の損害として確定するわけでもありません。損害額をどう見るかは、事案の具体的な事情によって変わります。
承認を得ていた場合の考え方
必要な承認を得ていた場合でも、それによっておよそ責任を負わなくなるわけではありません。承認の前提となる重要な事実の開示が不十分であった場合や、取引の態様に問題がある場合には、なお責任が問題となることがあります。逆に、承認を得たうえで適切に手続を踏んでいれば、責任の判断において取締役側に有利に働き得ます。承認の有無・内容と、損害賠償責任の有無とは、区別して検討する必要があります。
差止めなどを検討する場合の注意
競業取引が会社に著しい損害(会社の機関設計によっては回復することができない損害)を生じさせるおそれがある場合などには、会社法上の一定の要件のもとで、取締役の行為の差止めが検討されることがあります。もっとも、差止めには法律上の要件があり、これを満たすかどうかは個別事情によります。「会社はいつでも差止めを請求できる」わけではなく、緊急性や損害の程度、証拠の状況などを踏まえた検討が必要です。
競業取引と利益相反取引で責任規定が異なる(第423条第2項と第3項)
同じ第356条の承認対象でも、競業取引と利益相反取引とでは、第423条の推定規定の内容が異なります。ここを混同しないことが重要です。
| 区分 | 競業取引 | 利益相反取引 |
|---|---|---|
| 対象条文 | 第356条第1項第1号 | 第356条第1項第2号・第3号 |
| 第423条の推定 | 第2項:取締役または第三者が得た利益の額を損害の額と推定 | 第3項:会社に損害が生じたときは任務を怠ったこと(任務懈怠)を推定 |
| 推定の対象 | 損害額(任務懈怠は別途問題となる) | 任務懈怠そのもの(一定の取締役について) |
このように、競業取引では「損害額」が、利益相反取引では「任務懈怠」が推定されます。責任追及や反論の組み立て方が変わるため、まずどちらの類型に当たるのかを正確に見極める必要があります。
退任後の競業避止義務と誓約書・退任合意書
退任後の競業については、在任中とは考え方が大きく変わります。ここでの中心的な問題は、競業避止を定めた契約があるか、その内容が有効な範囲かです。
退任後は会社法上の競業取引規制が当然には及ばない
会社法第356条の競業取引規制は、あくまで「取締役」を対象とする規定です。そのため、取締役を退任した後は、この規制が当然に続くわけではありません。退任後の競業を制限したい場合には、誓約書・退任合意書・役員契約などで競業避止義務を定めておくことが前提になります。「退任すれば一切自由」とも、「一度取締役だったから当然に制限される」とも言い切れません。
競業避止契約の有効性はどう判断されるか(民法第90条)
競業避止を定める契約や誓約書があっても、その内容が合理的な範囲を超えて広すぎる場合には、公序良俗に反するものとして、全部または一部が無効と判断されることがあります(民法第90条)。退任者にも職業選択の自由があり、これと会社が守ろうとする利益との調整が問題となります。ここでいう調整は、憲法上の職業選択の自由を私人間の契約に直接適用するというより、民法上の公序良俗の枠組みを通じて行われるのが一般的な整理です。
有効性の判断で考慮される主な要素
競業避止条項の有効性は、一つの事情だけで決まるものではなく、次のような要素を総合的に考慮して判断されます。「期間が○年以内なら有効」「代償措置がなければ必ず無効」といった単一の基準で決まるものではありません。
| 考慮要素 | 確認されるポイントの例 |
|---|---|
| 会社が守ろうとする正当な利益 | 営業秘密や独自のノウハウ、重要な顧客関係など、保護に値する利益があるか |
| 対象者の地位・職務 | その利益に実際に関与していた地位・権限か、秘密情報に接していたか |
| 禁止される競業の範囲 | 業種・業務・対象顧客・商品などが具体的に限定されているか、一般的・抽象的に広すぎないか |
| 禁止期間 | 制限の必要性に照らして過度に長くないか |
| 地域的な範囲 | 事業の実態に照らして合理的な範囲か |
| 代償措置の有無・内容 | 退職慰労金や在任中の処遇など、制約に見合う手当があるか |
| 締結の経緯 | 署名を求めた時期・状況、退任の経緯、交渉の有無 |
これらは相互に関連し、ある要素の弱さが他の要素で補われることもあります。また、役員に関する事案と従業員に関する事案とでは、地位や情報への接し方が異なるため、従業員に関する裁判例の判断をそのまま役員に当てはめることはできません。具体的な条項が有効な範囲かどうかは、契約書とあわせて締結の経緯や制限の範囲を確認したうえで判断する必要があります。
誓約書・退任合意書に署名する前に確認したいこと(取締役側)
- 禁止される業務・業種の範囲が、どこまで具体的に定められているか。
- 対象となる顧客・地域・期間が、自分の今後の活動をどこまで制約するか。
- 代償措置(退職慰労金など)が定められているか、その位置づけはどうか。
- 秘密保持条項や、会社データ・顧客情報の返還・削除に関する条項が含まれていないか。
- 署名を求められている時期・状況(退任交渉のどの段階か)。
広い範囲の競業を禁止する条項であっても、直ちに全部が無効になるとは限りません。逆に、署名したからといって全部が有効とも限りません。署名する前に、条項の意味と自分への影響を確認しておくことが重要です。
会社側が競業避止条項を作成する際の注意
会社側としては、広く書けば書くほど安心というわけではありません。過度に広い条項は、かえって有効性を否定されるおそれがあります。守ろうとする利益、対象者の地位、禁止範囲・期間・地域、代償措置などのバランスを踏まえて、保護したい利益に見合った範囲で設計することが、実効性の観点からも重要です。どの範囲で定めるかは、対象者や事業の実態によって変わります。
契約がなくても問題となり得る行為(営業秘密・引き抜き)
退任後の競業避止契約がない場合でも、次のような行為は、別の枠組みで問題となり得ます。「契約書に競業避止条項がなければ何をしてもよい」わけではありません。
営業秘密の持ち出し(不正競争防止法の3要件)
会社の技術情報や顧客情報などが不正競争防止法上の「営業秘密」に当たる場合、その不正な取得・使用・開示は同法上の問題となり得ます。もっとも、会社が「秘密だ」と考えているだけで営業秘密になるわけではありません。営業秘密として保護されるには、秘密管理性(秘密として管理されていること)・有用性(事業活動に有用であること)・非公知性(公然と知られていないこと)の3要件を満たす必要があります(不正競争防止法第2条第6項)。顧客名簿が常に営業秘密になるとは限らず、実際の管理状況などを確認する必要があります。
顧客への働きかけ
退任後に元の顧客へ連絡することが、すべて違法になるわけではありません。他方で、在任中に得た営業秘密を用いる、退任前から組織的に働きかける、といった態様によっては、問題となることがあります。連絡の時期・方法・目的、秘密情報の利用の有無、会社への影響などによって評価が変わるため、一律に「顧客への連絡は違法」とも「自由」とも言えません。
従業員への引き抜き
従業員の転職・引き抜きについても、すべてが違法となるわけではありません。従業員には職業選択の自由があり、通常の勧誘は直ちに違法とはなりません。もっとも、在任中の地位を利用した組織的・計画的な引き抜きや、会社に著しい損害を与えるような態様の勧誘は、不法行為などの問題となり得ます。ここでも、態様や時期による個別の検討が必要です。
在任中の競業準備行為
取締役は在任中、会社に対して忠実義務を負っています。独立や競合事業の準備自体が直ちに問題となるとは限りませんが、在任中に会社の設備・データ・顧客情報などを利用したり、会社の利益を犠牲にして競合の準備を進めたりする行為は、忠実義務との関係で問題となり得ます。準備をどの段階でどのように行うかは、慎重に検討する必要があります。
ここでのポイント
営業秘密・顧客への連絡・従業員の引き抜きのいずれも、行為の態様や事情によって結論が変わり、当然に違法とも適法とも言い切れません。会社側・取締役側のいずれの立場でも、早い段階で事実関係と資料を整理し、どの枠組みが問題になり得るかを確認しておくことが重要です。
よく問題となるケースと確認すべき事情
実際に相談が多い場面を、一般的な例として整理します。いずれも「必ず違反」「必ず有効・無効」と決まるものではなく、確認すべき事情があります。
- 在任中に競合会社を設立した――会社の事業との重複の程度、実際に取引を行ったか、承認の有無を確認します。設立や準備の段階か、取引に至ったかで評価が変わります。
- 取締役が競合会社の役員に就任した――役員に就任しただけで当然に競業取引に当たるわけではありません。具体的にどのような取引・関与があったかを確認します。
- 家族や第三者の名義で競合事業を始めた――名義にかかわらず、「自己又は第三者のために」取引をしていないか、実態を確認します。
- 退任前に主要顧客へ独立を伝えていた――伝えた時期・内容、営業秘密の利用の有無、在任中の忠実義務との関係を確認します。
- 退任後に主要顧客が競合会社へ移った――顧客が自らの判断で移ったのか、不当な働きかけがあったのか、事実関係の確認が必要です。
- 複数の従業員が同時期に転職した――通常の転職か、組織的・計画的な引き抜きの態様かを確認します。
- 会社の顧客名簿や価格表が使われた形跡がある――その情報が営業秘密の要件を満たすか、どのように取得・使用されたかを確認します。
- 退任時に広い範囲の誓約書へ署名を求められた――禁止範囲・期間・地域・代償措置を確認し、有効な範囲かを検討します。
- 取締役会の承認はあるが、議事録が十分でない――開示された重要事実の内容、特別利害関係取締役の取扱い、取引後の報告の有無を確認します。
- 取引が行われた後に競業が判明した――取引の内容、会社の損害・相手方の利益、証拠の状況を確認し、対応の緊急性を検討します。
手続前チェックリスト(会社側・取締役側)
承認の前、署名の前、警告書の送付・回答の前に、次の資料・事項を整理しておくと、弁護士への相談や社内の検討がスムーズになります。
会社側が確認したい資料・事項
- 対象者が現在も取締役か、既に退任しているか、在任期間はいつからいつまでか
- 会社の事業内容と、問題となっている競合事業の内容・重複の程度
- 承認申請書・稟議書、取締役会議事録・株主総会議事録
- 役員契約書、退任合意書、競業避止に関する誓約書、秘密保持契約書
- 顧客情報・価格情報・技術情報などの管理状況(アクセス権限、秘密管理の措置)
- メール、アクセスログ、契約書、請求書など、行為を裏づける資料
- 会社の損害や、相手方が得た利益を把握できる資料
- 行為が継続中か、緊急性があるか、証拠を保全する必要があるか
- 警告書を送る前の法的な整理(事実関係・請求の根拠・リスク)
取締役・元取締役側が確認したい資料・事項
- 役員契約書、競業避止に関する誓約書、退任合意書、秘密保持条項の有無と内容
- 競業取引について承認を求めた記録(申請書、取締役会議事録など)
- 予定している競合事業の内容、対象とする顧客・地域・期間
- 独立・転職の準備を始めた時期と方法
- 会社の情報(データ・顧客情報・価格情報など)を保有していないか、返還・削除の記録
- 会社から受け取った警告書・通知書と、その回答期限
- 会社アカウント・個人アカウント・端末の取扱い(証拠隠滅と評価される行為を避ける)
会社側・取締役側のいずれも、会社データの削除や資料の廃棄は、証拠隠滅と評価されるおそれがあります。反対に、違法・不適切な方法で相手方の情報を収集することも避ける必要があります。対応に迷う場合は、資料を動かす前に確認することをおすすめします。
弁護士に相談するタイミングと準備すべき資料
取締役の競業をめぐる問題は、後戻りしにくい対応の前に整理しておくことで、選択肢を確保しやすくなります。次のような段階が、相談を検討する目安です。
- 取締役が競業取引を始める前、取締役会・株主総会に諮る前
- 役員契約・競業避止の誓約書・退任合意書を作成する前、書面に署名する前
- 競業行為が疑われた直後、顧客・従業員・データの移動が判明したとき
- 警告書を送付する前、警告書や損害賠償請求を受けて回答する前
- 差止めの仮処分など、緊急の対応を検討するとき
弁護士への相談で結果が保証されるわけではありませんが、法的な関係の整理、必要な資料の確認、承認手続や契約条項の範囲の検討、警告書の送付・回答の方針、証拠の保全方法、交渉・仮処分・訴訟といった選択肢の整理に役立てていただけます。相談の際は、次の資料をお持ちいただくと具体的な検討につながりやすくなります。
- 定款、登記事項証明書
- 取締役会議事録・株主総会議事録、承認申請書・稟議書
- 役員契約書、競業避止の誓約書、秘密保持契約書、退任合意書
- 会社から受け取った、または送付を検討している通知書・警告書
- 顧客との契約書、問題となっているメール、取引内容が分かる資料
よくあるご質問(FAQ)
Q1.取締役が競合会社の役員になるだけで、競業避止義務の違反になりますか。
役員に就任しただけで当然に違反になるわけではありません。会社法が規制するのは「会社の事業の部類に属する取引」をする場合であり、具体的にどのような取引・関与があったかによって評価が変わります。会社の事業内容や取締役の役割を確認したうえで判断する必要があります。
Q2.取締役会の承認を得れば、競業取引を自由に行えますか。
承認は必要な手続ですが、承認を得ればおよそ責任を負わなくなるわけではありません。承認の前提となる重要な事実の開示が不十分な場合や、取引の態様に問題がある場合には、なお責任が問題となることがあります。取締役会設置会社では、取引後の報告(会社法第365条第2項)も必要です。
Q3.競業取引の承認を得るには、何を開示する必要がありますか。
承認の判断に必要な「重要な事実」を開示する必要があります。取引の相手方、対象となる商品・役務、規模、期間など、承認する側が競業の程度を判断できる事実が想定されます。どこまで開示すべきかは取引の内容によって異なります。
Q4.承認を得ずに行われた競業取引は、無効になりますか。
取引の相手方との関係で、その取引が当然に無効になるわけではありません。競業取引は主に会社に対する責任の問題として処理され、承認を得ずに取引をした場合には、取締役または第三者が得た利益の額が会社の損害と推定されることがあります(会社法第423条第2項)。
Q5.退任後は、何年間まで競業を禁止できますか。
「○年までなら有効」と一律に決まるものではありません。禁止期間の合理性は、会社が守ろうとする利益、対象者の地位、禁止範囲、地域、代償措置などとあわせて総合的に判断されます。期間だけを見て有効・無効を判断することはできず、契約全体と締結の経緯を確認する必要があります。
Q6.競業避止の誓約書に署名すれば、その内容は必ず有効ですか。
署名しても、内容が合理的な範囲を超えて広すぎる場合には、公序良俗に反するものとして全部または一部が無効と判断されることがあります(民法第90条)。逆に、広い範囲を定めていても直ちに全部が無効になるとは限りません。署名の前に、条項の範囲と自分への影響を確認しておくことをおすすめします。
Q7.誓約書がなくても、会社は損害賠償や差止めを求められますか。
競業避止の契約がなくても、営業秘密の不正な利用(不正競争防止法)、秘密保持義務違反、不当な引き抜きなどが問題となる場合には、損害賠償や差止めが検討され得ます。ただし、営業秘密の要件を満たすかどうかや、行為の態様によって結論が変わるため、事実関係と資料の確認が必要です。
Q8.退任した取締役から警告書を受け取りました。どう対応すべきですか。
まずは事実関係と手元の資料(契約書・議事録・通知書など)を整理し、回答期限を確認してください。会社データの削除など証拠隠滅と評価されかねない対応は避ける必要があります。回答の方針は個別事情により変わりますので、回答する前に確認しておくことをおすすめします。
まとめ
- 取締役の競業は、在任中(会社法上の競業取引規制)と退任後(契約の有効性)とで、法的な整理が異なります。
- 在任中は、会社の機関設計に応じて取締役会または株主総会の承認が必要で、重要な事実の開示・議事録・取引後の報告(取締役会設置会社)まで含めて確認します。
- 違反時は会社に対する責任が問題となり、競業取引では損害額(第423条第2項)、利益相反取引では任務懈怠(第423条第3項)が推定されるなど、規定が異なります。
- 退任後は、誓約書・退任合意書などの有無と、その内容が合理的な範囲か(民法第90条)を確認します。単一の要素で有効・無効は決まりません。
- 契約がなくても、営業秘密・秘密保持・顧客や従業員への働きかけが別途問題となり得ますが、いずれも態様や事情により結論が変わります。
- 会社側も取締役側も、承認・署名・警告書の前に、事実関係と資料を早めに整理しておくことが重要です。
取締役の競業をめぐる問題は、個別事情により結論や進め方が変わります。承認を求める前、誓約書や退任合意書に署名する前、警告書を送付または回答する前といった後戻りしにくい対応をする前に、一度、資料を確認したうえで弁護士に相談されることをおすすめします。
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執筆者・監修者
藤井 貴之(ふじい たかゆき)
弁護士法人ひょうご あわじみらい法律会計事務所 代表弁護士・公認会計士
兵庫県弁護士会所属・日本公認会計士協会兵庫会所属
2012年(平成24年)司法試験合格、2013年弁護士登録。2020年(令和2年)公認会計士試験合格。会社法に関する紛争や企業法務を含め、個人・法人からのご相談に対応しています。会計・数字が関係する問題についても、法律と会計の両面から検討できる体制で対応しています。
参考資料
- e-Gov法令検索「会社法」(第355条・第356条・第365条・第369条・第423条ほか/2026年7月確認)
- e-Gov法令検索「民法」(第90条ほか/2026年7月確認)
- e-Gov法令検索「不正競争防止法」(第2条ほか/2026年7月確認)
- 経済産業省「営業秘密~営業秘密を守り活用する~」(営業秘密の3要件・営業秘密管理指針/2026年7月確認)
- 経済産業省「競業避止義務契約の有効性について」(有効性の判断要素の考え方/2026年7月確認)

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